客を話題にする時、従業員が使う隠語(伝説のUUUとか)の話ではありません。客を呼ぶ時、名前の前に付ける敬称の話です。
航空券をウェブサイトで購入する時、氏名入力が必要です。氏名の前に敬称が入りますが、ふと調べてみたら、敬称の選択肢は航空会社によってバラバラ。各社の考え方の違いというより、会社の性格や成り立ちを色濃く反映しているようです。こんな些事は誰も調べないだろうから、あえて記事にしてみました。
改めて敬称について考えてみると
世の中には多くの敬称が存在しますが、ほとんど(~99%*)の人は、Mr., Mrs., Miss, Ms.に該当します。一般メディアも、この人たちの感覚が基本です。したがって世界の大多数の人は、自分と異なる敬称で呼ばれる少数のことを意識できません。この少数の考え方、世界観が、自分らとは全く違う事も知らないでしょう。知る必要性も乏しいことですし...。
*:日本の場合は、子供も分母に入れると 99.5%ぐらいのようです。
他敬称組は人数が少ないことに加え、偏在しています。普段話をする相手が、自分と同じような敬称を持つ人間ばかりという状態が普通。貴族は貴族の知り合いが多いし、博士の活躍の場には博士が大勢います。世界は、絶対的な意味で階級社会なのでした。
機内には、承認欲求が強い人が多数搭乗しています。マイレージプログラム上級会員になることが目的化している人たちが大勢いるのはその証左。しかし上級会員は飛行機に乗る時だけの別扱い。承認欲求の強い人なら、ダイヤモンド会員ではなく、Dr. や rev. などと呼ばれる立場になる方が良いのではないでしょうか。異なる敬称は、人間社会で別扱いであることを意味するのです。ANAにかつて出現した空港—航空機内にいる時間がその外にいる時間よりも長い人ならAMCダイヤモンドで十分でしょうが、これは稀なケース。
現代では金に対する欲求も重要な因子であり、敬称と金との相関関係は必ずしも強くありません。したがって別扱いと言っても、羨ましがる価値があるかどうかは微妙なところ。敬称が社会で持つ価値と、会員ランクが空港-航空機内で持つ価値はある程度似ています。
なお敬称は身分、地位、階級を表すので、申告する方も、呼ぶ方も正しく使わないといけません。本人が偽ると ID の偽装(偽名を使うようなもの)であり、周囲が誤ると失礼(性別を間違えるようなもの)です。
実例
(1) 明日の空へ、明後日の方へ、日本の翼
JALのサイトでは、Mr., Mrs., Dr., Prof., Rev., Ms., Miss の順に並んでいました。
平の男女に博士、教授、坊さんが加わると JAL の世界になるようです。Miss は英語圏の古い発想では、地位がない未婚女性。Ms.も平の女性への敬称ですが、Mrs./Miss の区別はナンセンスという新潮流。JALでは Ms., Miss を最後に置き、この2つの敬称が傍流であるか、仮の名扱いにしています。面白いセンスです。数十年前から放置されている順番だという気もします。
英語にうるさい人からは、Missの後にピリオドを打つのは間違いだろうという指摘も出そうです。
(2) 伝統、格式を欠く日本の霊感
ANAはJALと対照的でした。この会社、人を呼ぶのに敬称を使わないようです。Hi, Bob. How ya doin'?の世界。
自然の性は申告させますが、それだけです。JALとは違って、機内は強引に平等を実現した平民社会。これはANAのターゲットが、サラリーマンであることと符合します。つまり想定する客は「働く者」、平の男女なので性別以外は自由でよいという発想のようです。そういう世界観だと、Mr., Mrs., Miss, Ms.の違いはトラブルの元にはなっても、役立つことはありません。
逆に言うと、Mr., Mrs., Miss, Ms.以外の敬称で呼ばれ、自分の集団に帰属意識が強い人には ANA は向いていない気がします。社会全体を対象にした「個人を尊重したサービス」、「パーソナライズされたサービス」は、放棄した会社だとも言えます。
ANAの機内では社会一般の階層を排除した分、マイレージ会員の会員レベルが幅を利かしているかもしれません。JGC vs SFCの果てしない論争に、また一つ判断基準が加わりました。
(3) SAS
この敬称なしというフォーマットは、SASでも見つかりました。北欧も四民(平学宗貴)平等社会のようです。
ANA も SAS もスターアライアンスだからと考えた方、たぶん間違っています。ANAの場合、マーケット後発組。利益が出やすいところに特化する必要があり、その過程で起きた進化の結果。おそらく会社の歴史が育んだ気質です。SASには、そんな背景はありません。男女の役割に差が少ない北欧社会を反映している気がしますが、住んだことがないので無責任な想像です。
(4) Lufthansa
そもそもスターアライアンスの盟主 Lufthansa では、敬称は8つあります。しかし単純。自然の性別に、学術称号を組み合わせただけです。この会社も別の意味で特徴的でした。
人を区別するのは、アカデミックな位置づけだけだと言わんばかりです。確かにドイツでは、博士号や教授号を持つ人は本人も周囲も使用が必須*です。しかし坊さんと貴族を無視する理由もありません。
*:ファーストネームだけで呼ぶ時は例外。
なおドイツ語では Dr. や Prof. を使う場合でも、Herr や Frau を添えますが、英語では Mr や Mrs は入れないのが普通です。ここでは性別情報を得たいのでしょうか。垢ぬけません。「Lufthansa は忘れているようだが、Miss Prof. Dr. なんて実用的だ」と考えた方、センスは抜群ですが、ドイツの平民♀は成人すると自動的に Miss から Mrs へ変わる事を見落としています。たとえ英語を使っても、彼女たちはそうします。この辺の事情は、長くなるので省略。
(5) British Airways
さてこの会社は、多くの敬称を使い分けていそうだと誰しも思います。そしてそれは正しいセンスでした。Mr, Mrs, Miss, Ms, Mstr, Capt, Prof, Dr, Dame, Lady, Lord, The Rt Hon, Rabbi, Rev, Sir, Baroness, Baron, Viscount, Viscountess が普通に使われます。その種類、何と19!
ありふれた平の男女用4つが最初に来ます。その4つは適切な順番で並んでいます。バランス感は良好。その後の Mstr は、Mistressの意味ではなくMasterで、男児に対する敬称ですが、どういう時にこの敬称が使われるのでしょうか。ここまでの5つが平の男女。
次は軍人(Capt)。そして2つの学術称号。教授、博士の順。さらに貴族ではないが平民でもない階級が来て、そこでは Dame, Lady, Lord と女性が先。そして複雑な The Right Honourable。次にくるのは宗教界ですが、rabbi, reverend とユダヤ教、キリスト教の順なのは何故ですか。
最後が貴族階級。Sir, Baroness, Baron, Viscount, Viscountessときます。Sir は一代限りの栄典で一般には貴族に分類されませんが、青い血と一緒にされます。他にも貴族のタイトルはいろいろあるのですが、該当者が少ないのでBAは個別対応するのでしょう。
顧客に貴族が普通にいる事は、相当な宣伝効果をもたらしているはずです。BA好きなアメリカ人のメンタリティには、強くアピールしそうです。
個人的にはイギリスに青い血の知り合いはいないので、全くわかりませんが、彼の地では男爵、子爵もウェブサイトで予約するようです。
(6) Singapore Airlines
高級エアラインの代表。現代では金があるミッドレンジが数多く集まっても、高級になるので、必ずしも多くの敬称を必要とするわけではありませんが、実際のところどうなのだろうと調べてみたら、その必ずしもでした。
Mr, Mrs, Miss, Mdm, Ms, Mstr, Dr, Profの8つありますが、平の男女用が6つあり、残りの2つは学術称号でした。平の女用は数多く、4つもあります。これはこれで特徴的ですが、なぜこんなに区別する必要があるのかは謎です。
なお平の男用は、航空会社を問わず Mr のほぼ一択。人間社会で十羽一絡げにされる集団と言えます。どこそこのエリートだとか、どこそこの社長だとか、どことも知れぬFランだとか、日本のメディアが愚にもつかない区別を次々持ち込み、年中騒いでいられるのはこの集団が社会全体でひとくくりにされるおかげ。
(7) Thai Airways
地勢的にはシンガポール航空のライバルになりそうですが、そうは目されていないタイ航空。こちらはもっと穏やか。
平の男女用敬称4つに学術称号2つで、平凡すぎ。事業を上向けるために、このあたりから特徴を出してみてはいかがでしょうか。いろいろな宗教の坊さん向けに敬称を整備するとタイらしくて良いと思います。