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平成に起きたこと

平成は1989年1月8日から2019年4月30日まで。30年間にも渡る時代となり、後世の歴史学者、歴史愛好家には結構な分量の出来事を残したはずです。一つの時代の終焉に臨み、当ブログも retrospective な記事を書かないわけにはいきません。もちろん航空旅行に関することだけを取り上げます。個人の印象が基礎になるため、偏向が著しいはずです。また前もって準備したわけではないので、見落としもあり、後から付記するかもしれません。

 

空港整備

関西国際空港が平成6年に開港。工事は1987年(昭和62年)に開始、地盤沈下が激しくて竣工が遅れました。今でも沈降中だったはず。「世界初の人工島空港」、「日本初の完全24時間運用」と関係者を鼓舞する要素が多かったのか、膨大な借入金を残したことはよく知られるところ。その帰結が空港運用権売却ですが、これも日本初ではなかったでしょうか。こうして振り返るとこの空港、かなりユニークな存在であることが分かります。

 

羽田空港の拡張と再国際化。平成時代を通じて大胆に行われました。この空港は、現A滑走路が完成したばかりの状態で平成元年を迎えました。古く小さなターミナルビルは蒲田側にあり、交差する滑走路が沖合い方向に広がるような配置でした。そして中華空港をのぞいて、国内線専用の空港。高速湾岸線も無く、モノレールの終着駅に蒲田への路線バスが足。

 その後の整備はご存知の通り。平成5年に竣工したビッグバードJALANAが半分ずつ使っていたのも遠い昔。平成16年には第2ターミナルが完成し、ANAは引っ越します。新しい国際線ターミナルも平成22年に完成、供用開始。ユニークな構造を持つD滑走路の供用開始も平成22年。平成元年1月当時とは全く異なる空港になってしまいました。

 

新千歳空港の新ターミナルビル竣工が平成元年。JR地下駅も同時に整備され、-10℃の外気に曝される連絡橋を延々歩いて駅まで移動することはなくなりました。

 この空港は、現在でも航空自衛隊が使う軍民共用の千歳飛行場から民航部分を隣に移す事業でした。空港自体は前年の1988年(昭和63年)に開港しています。事実上、平成の歴史と共にある空港です。

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Flughafen München "Franz Josef Strauß"が平成4年に開港。手狭になったRiem空港を置き換える形で整備されました。成田空港建設の混乱を教訓にして、用地買収に時間をかけたとされますが、工事自体は1980年(昭和55年)に開始しています。

 

Aéroport Paris Charles-de-Gaulleのターミナル整備は平成を通じて行われました。平成が開始した時、この空港のターミナルはTerminal 1(昭和49年竣工)と Terminal 2A, 2B(昭和57年竣工)だけでした。その後 Terminal 2 は、2D(平成元年)、2C(平成5年)、2F(平成10年)、2E(平成15年)、S3(Hall L, 平成19年)、2E拡大(平成20年)、2G(平成20年)、S4(Hall M, 平成24年)と次第に拡張されます。Terminal 3 も平成 3年供用開始。巨大化の足取りがたどれる平成時代でした。

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航空会社の盛衰

世界一周路線を誇ったPAN AMが破綻、平成3年に消滅します。1973年(昭和48年)の石油ショック以来調子が悪かったのですが、Donald Reagan(昭和56年1月~平成元年1月)による航空自由化が祟ったとされます。

 

当然の結果と言うべきか、空の自由化は LCCの台頭を促します。平成29年の旅客数の世界ランキングでは、AA, DL に続いて Southwest Airlines が 3位、UA をはさんで Ryanair が 5位に入ります。何と欧州一の会社はLCC になってしまいました。

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またレガシーキャリア、フルサービスキャリアと呼ばれる従来型航空会社でも新勢力の台頭が目覚しい時代でした。これは飛行旅客キロのランキングを見ると良いと思いますが、現在のベスト10は AA, DL, UA, EK, WN, CZ, LH, BA, FR, MUとなっています。赤は新興勢力青はLCCです。中国の会社が2社が入っていますが、欧米の航空会社には中東の会社の方が「目の上のたんこぶ」であるのはご存知のとおり。Emirates (EK)の創業は昭和60年2匹目のどじょうを狙ったQatar Airwaysは平成5年、懲りずに3匹目を狙う Etihad は平成18年の創業です。

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長距離路線でビジネスモデルを描ききれず、破綻も起きやすいLCC、投資の無理がたたり、息切れ感が出てきた Etihad 航空を見ていると、平成の盛衰劇は一段落しつつあるようです。

 

旅客の囲い込み

JALマイレージバンクANAマイレージクラブの発足は平成7 ~8年頃。欧州で代表的なMiles & Moreの発足は平成5年です。Flying Blueは平成17年と遅いのですが、前身の Fréquence Plus も JMB や AMC と同時期には出来ていました。日欧の航空会社にとって、平成時代はマイレージプログラム整備の時代でした。

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JALマイレージプログラムを既存のGlobal Clubと融合させました

 

航空連合の形成によってマイレージプログラムは、利用者への魅力を増します。Star Alliance が平成9年oneworld が平成11年SkyTeam が平成12年と、3大航空連合の成立は、マイレージプログラムにとって発足の次の重大なステップになりました。

 

IT技術の発達も無視できない発展をもたらしました。今では社会の様々なサービスと広く提携することにより、単なる顧客囲い込みだけではなく、決済手段にもなってきています。航空会社は、マイレージプログラム自体で収益を上げる構造を作り上げています。換金は出来ないため、資産にはなりませんが、マイルの存在感は確実に肥大した時代でした。

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この記事を書いて、一つ気づいたことがあります。当ブログは平成最後の5年間に存在しましたが、題材はほとんど全て平成時代に発生、発達したものです。つまり平成元年の時点では、影も形もないことばかり書いています。世の変化は速く、それに着いていけない老人が現役世代とコミュニケーション困難なわけが良くわかりました。