PECHEDENFERのブログ

Le rayon d'action illimité. D'une véritable ruche bourdonnante.

ワインスクール代わりの飛行機(その1)

映画館に続く飛行機「利用法」第2弾は、ワインスクール。何といっても、専門家がセレクトしたワインが、搭乗すると「無料で」味わえますから。しかもビジネスクラス以上では、詳しい説明が機内に用意されています。解説付きですからね。勉強しようと思えば、勉強できてしまいます。

 ただ多くの場合、自習です。客室乗務員が一緒にグラスを手にして、光にかざしてみたり、ぐるぐる回したり、大きな音と共に一口含んだ後、上手に吐き出したりしてくれるわけではありません。

 

ワインリストに長々と解説があるのは、機内誌と同様、時間つぶしを提供しているのだと思います。つまり機内エンターテイメントの一種です。「本来、下々の者が飲めるような代物ではない。ありがたく頂戴しろ。」系や「産地と生産者が全て分かっているので、安心です。」系の発想は、皆無でしょう。他の飲料や料理にワインリスト並みの説明がないことから、間違いありません。

 

このブログはワインはおろか、飲食がテーマというわけではありません。そこで注意事項というか、転ばぬ先の杖を最初にまとめておきます。

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(1) 優れた専門家でも、とんでもない間違いをよく犯します。また時として基本的な考え方ができていなったりします。

これには、2つの理由がありそうです。

 一つ目はワインの理解が、醸造学でカバーできるはずがなく、歴史、地理、諸言語はもとより、基礎的な生物学や化学の知識が必要なためです。しかも何か問題にすると、すぐにそれぞれの分野での研究者が考えるような事象にぶつかります。一人の人間がカバーできる知識の量をはるかに超えたところで問題が生じがちなのです。

 ニつ目は、味覚、嗅覚が人によって異なることです。ある人には非常に不快でも、ある人には全く平気ということがよくあります。例えば「猫のおしっこ」や「濡れた犬」などです。心地よい香りについても同じことが言えそうです。臭いは、いったん記憶されるとどんどん敏感になるようで、その結果、人によって全か無かと言うほどの違いになるのでしょう。ワインでよく引き合いに出されるのが、コルク臭。一度認識すると、非常に微弱なものでも感じるようになるのに時間はいりません。知らなければ、知らないで一生を終えられたのにご愁傷さまです。特に嗅覚が鋭いとか、修業を積んだというわけではなく、たまたま気が付いただけですね。

 香りを含めた味わいやその変化に関して、ある専門家(あるいは単なる飲んだくれ)が指摘していることを、別の専門家が否定している場合、指摘の方が正しいのでしょう。ただし、それを自分が感じるかどうかは別の話です。

 ちなみに私は「濡れた犬」系の臭いはわかりますが、「猫のおしっこ」はわかりません。コルク臭は悩みの種です。

 

こうした事情から、素人が権威の間違いを指摘できるのは何の不思議もありませんし、それで権威に傷が付くわけでもありません。また誰かが言っていることには、常に注意が必要です。間違いやすい、つまり真偽が怪しいこともありますが、どこまで当てはまるのかその適応範囲を見極めるのが難しいためです。

 

(2)  人によって良いワインは異なります。

生産者にとって良いワインは、多くの人が喜んで飲んでくれるワインでしょう。それで懐に大金が入れば、百姓冥利につきます。消費者にとって良いワインは、満足できるワインと言う他、表現できません。そのワインがおいしいかどうかは本人次第。ワインの値段は旨いことを保証しません。他の人と同じワインを話すと気づきますが、人によって感じることが全然違います。感覚が鋭い者が修業を積めば、ワインのおいしさに正しく順序をつけられるとか、適切な点数をつけられるなんてことはありません。決まった物差しを当てはめることが、最も不適切な分野なのでした。

 ワインの表現の多くは、この問題を避け、できる限り客観的に記録しようという営みです。記録した人が旨いと感じるかどうかは、問題ではありません。こういう表現が無理だったとしても、ワインを味わった時、香りと味を分析的にとらえれば、良い点も悪い点も見つかるはずです。それが自分の嗜好。他人の好みとは全然違うので、権威、専門家の言うことは、参考にしかならないと思うのが健全です。機内ワインリストの説明も、ブログのような気分で読むのが良いようです。

 

(3) 場に応じたワインがあります。無視して良い場合と、神経質になった方が良い場合がありそうです。

本当は自由に考えてよいのですが、何となく「これにはこれ」、「これにこれは無いだろう」などという因習が無数にあります。この間、DohaからParisに飛んだ時、フランス人(およびポルトガル人乗務員)と機内ラウンジで話していた時、「朝から赤ワインはありえない」は3人とも意見がすぐ一致しました。しかしこれは文化の問題です。

 こういうことは、他人が自分と同じ人間か、違う人間かを見分けるのに使われるのですね。その辺はマナーと同じで、ワインを難しく考える人が多いのも故なきことではありません。

 北東アジアではワインは特殊な存在だったので、民族や階層と関連付ける視点がありません。少なくともアジア内のフライトでは、全く自由に選択して問題ないはずです。

 問題は欧州便です。彼らにとって奇妙なことをすると、距離を置かれるかもしれません。マナーに近いレベルで気をつけた方が良いのですが、一般に言われていることを守るだけで問題ないと思います。白の後に赤とか、魚に白で肉に赤とかですね。

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さて最初にこのぐらい言っておけば、間違えても大丈夫だし、何か言って炎上することもないでしょうか。断定的なことは、誰も何も言えないのですね。極限まで例外が多い世界と言ってもよいかもしれません。「勝手なことを言っている」のは、ワインに関しては本質。

 

この記事から始めるつもりが、前置きが長くなり過ぎました。次がシリーズ第一弾。