バス代わりの飛行機

Le rayon d'action illimité. D'une véritable ruche bourdonnante.

JAL国内線の不機嫌な上級会員

JALの機内には、奇妙に不機嫌な客

が多いという見方が一部に根づいています。上級会員の荷物タグを付け、機内慣れを見せる層の大きな部分が該当するようです。こういう人たちは、どういう人たちかというのが本日の内容。

 この命題は、真かどうか判定する方法がありません。不機嫌の基準ひとつとっても、具体化は困難。したがって本日書くことは、曖昧な概念に対する不明瞭な推理です。

 

どういう人たちか

若くはない男性。40歳は超えています。主体は50歳前後。活力に満ちたという形容からは程遠いのですが、過度の疲労により活動が低レベルになったようには見えません。この点がポイント。年相応のエネルギーは残っていそうなのに、疲労困憊した者のような行動を見せること。特徴はこれに尽きます。

 搭乗時、降機時のクルーの挨拶には無反応。口を利いたとしても、飲み物を配られる時だけで、それは品名のみの返答。JALは指差しで OK という仕組みにしたので、その場でも無言の者が多数います。加えて不自然に弛緩した姿勢をとっています。まるで自室に一人でいるかのような振る舞い。公の場では、行儀よく振る舞うというプロトコルを知らない人たちです。

 機内では何となく時間をつぶしています。新聞、マンガ、ゲーム、うたたね、天井見つめといったところでしょうか。時間に追われ、残した仕事をバリバリやるという者はいないようです。

 カリカチュアにするなら以下のような感じ。こだわりを見せるほどではないが1,980円では買えないシャツが強調するメタボ腹。シートからずれ落ちそうなぐらい腰を前に出して着席、内臓脂肪で膨れた腹が一層引き立ちます。機内で脱いでしまう合成皮の靴は、外層収納とファスナーが多い化繊のカバンにマッチします。ブランドものでは、TUMIの日本向け製品が人気。スマホタブレットは割と好きなようです。

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何のために搭乗しているか

出張でしょう。会社に与えられた労働。

 

どういう身分の者か

いわゆるサラリーマン。大勢の部下に指揮するメインストリームの部課長あるいは役員ではなく、実働部隊に見えます。部長代理などという肩書はあったにしても、事実上部下なしのベテラン歩兵です。そうだと推理する理由は、3つあります。

 一つ目は大勢に指揮をする人間が、年に40回 ~ 60回も本拠地を空けられるか?と言うことです。フットワーク軽く現場へ飛ぶのは、配下の役目です。

 二つ目の理由は、人を束ねて組織を回す人間なら自然と行う気配りが皆無に見えることです。特に相手の言うことはよく聞いて、理解に努めなくては人が動きません。これは習慣とならざるえないので、飛行機のような「公の場」でもそういう行動が出ます。そういうことが自然にできてしまうものだから、部課長あるいは役員をやらされるわけです。この逆の者たち。

  三つ目。組織を束ねる者は他人にどう見られるか常に意識せざる得ません。行儀悪の露呈は、配下の者への指示が難しくなるリスクにつながります。この心配から解放されるのは個室にいる時だけ。これも全く逆。

 

同じ理由から、公的組織でそれなりの役職に就く人、(番頭を置いて自分は動き回るタイプもいますが)自ら会社を率いる人の可能性も低いと思います。

 

なぜそうなるか

何か不満があるのでしょう。その場で起きた一回限りのことではなくて、人生全般に関する不満が長い年月、心を覆っているような感じです。すると不満は仕事の内容や業績、あるいは社会的な成功に自分が及ばないとか、その類のことでしょう。不貞腐れた状態なのかもしれません。

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未来の姿

彼ら個人の未来なんてどうでも良い事。ここで関心があるのは、JAL客室の未来像です。

 

今:こういう人たちは概ね組織の手足であり、指揮する側にはいません。そのため地位が低いと勘違いしている可能性があります。自己評価が甘い人は多いという話はさておき、大きな組織の○○長になる人はプレイヤーとしての能力より、人をまとめる能力の方が組織にとって有用で、現場のプレイヤーはその逆なだけです。つまり役割分担。どんな組織でも、構成員の能力を組織のために可能な限り生かそうと躍起ですから、自然なことです。

 

近過去:進んだ国、進んだ経済圏に追いつくよう、生産力を上げ、活動を拡大していた時代はとうに過ぎました。その頃の価値観が抜けない人間は、定年まで部下無しで現場を回されるとなると、心の深いところで不満が蓄積しても不思議ありません。しかしそんな状態では、人生そのものをスポイルしそうです。奇妙に不機嫌な客を機内で見かけるたびに、そんなことを考えてしまいます。仕事は仕事。自分の能力を生かして金を稼いでいるのだから社会に居場所があるわけです。古い価値観は捨てるのが自分のため。

 

近未来:IT, AI, 機械化と呼び方は様々ですが、単純労働から人類が解放される流れは確実です。ここで重要なことは、機械のアシストで仕事の効率が上がるという点にはなく、「単純」に該当する労働が増える一方だという点です。機械はアシストではなく人にとって代わる、つまりあらゆる分野で現場のプレイヤーは激減します。つまりJALのキャビンでは、今見るような「奇妙に不機嫌な客」は漸減するでしょう

 科学技術の発展による労働からの解放は、20世紀初頭には夢の未来でした。100年後の今、この未来像は現実に向かっていることが実感できます。それは人が行う仕事には並外れた能力が要求され、多数の人間には仕事が無くなるという社会。社会に貢献できる少数にはそれなりの報酬、貢献できない多数には(相対的に)低レベルの生活が平等に保障されるという状態。正社員だ、派遣だなんて、後世から見たら小さな差になるはず。これがリアルな労働からの解放です。

 冷静に考えればそうなることは考えつくはずですが、100年前は誰も予想できなかったと言われても納得できます。都合の良い方向に物事を考える傾向は、個人レベルではよく非難されますが、社会レベルでは原則歓迎されます。人類は勝手です。

 

仕事で日本中を飛び回るなんて、高度成長期なら充実した人生です。十分満足でき、不機嫌な態度をとる余裕も理由もなかったでしょう。ところが大量輸送時代の現在では、これは大した意味を持ちません。価値観が古いと、発想の袋小路に入り込みます。二世代後の人間から見ると、労働により社会に貢献できたなんて、相当うらやましい人たちと思われる可能性すらあるのです。頻繁に出張させられることは、何とか今の時代に適合できた人間であることの証明です。不機嫌になるほどの理由はないのでした。