PECHEDENFERのブログ

Le rayon d'action illimité. D'une véritable ruche bourdonnante.

シャンパンのグラスとサービス

今はツイッターでも活躍されていますが、元々ブロガーとして著名な teppei101 氏。当ブログもご本人からコメントを頂いたりと、ご支援いただいています。その有名人の最近の tweet

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に触発され、いろいろと思い出し、イライラしてきたので記事にします。イライラの原因は teppei101氏ではありません。掲示板の書き込みでもありません。Champagneそのものです。以下の記事はフライトとは直接関係ありません。また一般にイライラを吐き出す人間の聞き役になっても得るものが少ないことは理解しています。しかしレガシーキャリアの旅行で目にする機会、口にする機会の多い Champageです。多くの人にとって蘊蓄になる程度のことは提供します。

 

並立する2つのグラス

映画等で観察すると、1970年ぐらいまで Champagne のグラスは、底の浅い coupe 型が主体です。多くの日本人にとって Champagne は、耳にする事は多くても口にすることは珍しい時代でした。その後、flûte 型グラスが世界的に増えます。しかしこれはグラスの進化ではありません。glass of champagneで画像検索すると現状が見えますが、現在は flûte 型すら時代から忘れそうです。

 Champagne は必ず登場するのに、coupe 型グラスしか考えられない場は実際にあります。下は大使館のレセプションから上は宮廷晩餐会まで、国家の正式なパーティではまずそうです。テレビ報道があれば、観察してみて下さい。

 そうした場で flûte 型を使わない理由は簡単。人をエレガントに見せないからです。flûte 型では、開いた口が見えたり、首を大きく後ろに反らしたりと「無様な姿」をさらさないと、中の液体を飲むことができません。coupe 型だとそれが避けられます。

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coupe 型グラスはピンドンタワーの需要もあると考えたあなた、Champagneの格を考えると今日の記事では取り上げられません。

 

flûte 型の特徴

それでは、flûte 型が一般の場で普及した原因は何かということになります。coupe 型は相対的に泡の消失が速いという説がありますが、これは眉唾もの(注1)です。

注1:flûte 型グラスでは泡は底から活発に発生します。すると泡を追い出す主要な原因は、ガラスの大きな曲率か、界面での高い圧力でしょう。ところがこのどちらの因子も flûte 型の方が coupe 型より高くなります。過溶解した二酸化炭素は泡で失われるより、空気との界面で消失する方が圧倒的に速いとでも考えるのでしょうか。確かにこの場合は、単位体積あたりの開口部面積が大きいほど二酸化炭素の保持は悪くなります。しかしこのメカニズムが正しいとすると、ガラスとの界面よりも空気との界面で二酸化炭素の発生速度が大きいことを意味します。これは注いだ時にガラスとの接触で盛んに泡立つ現象と相容れない気がします。

 

そもそも泡の寿命に一般人が血眼になるかと言うと、そんな事はありません。おそらくこの問題は flûte 型の増殖には関係ありません。それなら flûte 型ならではの美点があると考えるのが自然ですが、それは泡のプレゼンテーションしかないように思われます。美しく立ち上る泡の幻想的な世界は flûte 型グラスならでのもの。

 眺めて美しいという観点から、flûte 型グラスの champagne を超えるものは無いと言っても反論困難でしょう。実際のところ「美しいなんて主観だから、人それぞれだろ」程度のものです。たとえこの審美上の議論に納得できなくても、立ち上る泡の美しさに flûte 型の第一の特長があるという見方には同意してもらえると思います。

 

一方、スティルワインの香りを引き立たせるためには、flûte 型グラスの上部まで注いではお話になりません。拡がる香りを留める目的には不向きな形状をしている上、空間が狭すぎます。このことは、flûte 型グラスと通常のワイングラスの「正しい」使い方を説明します。前者は泡のプレゼンテーションのためにグラスの上の方まで注ぎ、後者では香りを引き出し、留める空間を確保するために、大振りのグラスに半分も注ぎません。

 つまり冒頭の引用ツイートは、ワインの常識に照らしてみると完全に正しい見解です。ただし「少なくとも今は」という但し書きを付けなくてはならない事が Pechedenfer の問題なのです。

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つくられる常識

シャンパンのシュバリエだとか、オフィシエだとかいう肩書を目にしたことがある人もいると思います。これは Champange地方の confrérie bachique のメンバーであることを意味します。Champagne にはこの「酒飲み兄弟会」の著名なものが4つあり、生産者、流通関係者、ジャーナリストに愛好家などを加えて組織されます。組織の目的は一般社会でのChampagne の普及です。メンバーになると現地での扱いは違い、いろいろと催し物の案内もあるはずです。

Confrérie bachique — Wikipédia

 

これらの肩書を持つ人たちは日本にも結構いるのですが、3年ほど前そうした一人に、

「そんな上の方まで注ぐなんて、田舎者のようなことはやめて。」

と言われました。flûte 型グラスに常識的に注いだ結果です。Reimsの大手メゾンで「せいぜい(グラス)半分までにするべき」、「そうしないと香りが楽しめない」と言われたとのこと。これは世の常識に反する方向への誘導(注2)です。シャンパン大手は、スティルワインの様に香りを引き出す飲み方を広めたいようです。

注2:フランスでワインの生産地をあちこち回ると気が付きますが、生産者が味見させてくれる時、利用するのは国際規格の試飲グラスのような安いグラスです。これは単純に価格のため。そして注ぐ量は大雑把。ざばっと注ぎます。香りを引き出すためにはちびちび入れるべきですが、そんな神経質なことはしません。「俺の酒は、そんな面倒なことをしなくても美味いんだ」という事のようです。つまり、生産者側の人間が神経質に量の言及を行うことが変です。しかもそれが世の主流の考え方と違うとなると、疑いは合理的なものとなります。

 

なぜ意図を感じるかというと、ここ10年ぐらいのChampagne、特に grande cuvée のブレンドの傾向と同期するからです。2004年以降、古酒を効果的にブレンドし、熟成感を過度に強調した液体に変わった étiquette が多いのです。熟成香を積極的に楽しめという強制を感じます。

 このブレンドは、自然発生した流行を追っているわけではありません。Champagne地方は長年の政治活動が実を結び、収穫量上限を引き上げることに成功しています。摘果が減るので収穫されるブドウの「力」は失われます。旧来のブレンドでは、薄っぺらい味わいになります。この辺の理屈はほとんどロジック。ブレンドの変化は、原料の劣化をカバーするための対策だと考えられます。

 

彼らは Champagne の特徴を上手に使っています。一つ目は高価格、高利潤がマーケティングによるものだということ。昔ながらの技術の継承には、あらゆる人が敬意を払うものの、今日高い値段を正当化できる製造は行っていません。マーケティングにかける費用が膨大なのです。confrérie bachique もその一部。影響力が大きい人間のプライドをくすぐって味方にし、彼らに生産者の意図を浸透させ、消費の現場を感化教育してもらうという大掛かりなことを行っています。留学生受入れが、その国の味方を増やす方法になっていることと似ています。

 二つ目は、ブレンドを尽くした酒だということ。ブドウ以外の原料も使うので、ワインに分類することが憚られる代物です。しかし Champagne は唯一無二の存在で、ワインではないと言われても問題のない名声を確立しています。それは良いのですが、主原料はやはりブドウであり、その収穫量を増やすと味の変化は避けられません。そしてワインの世界では、この時の味の変化を質の低下と呼びます。ワインだとブドウの質の悪さを補償するのは難しいのですが、Champagneでは広範なブレンドという強力な手があります。

 三つ目はブランドの強さです。強力なブランドにとって、トレンドセッター、オピニオンリーダーになるのは容易な事です。彼らは世の嗜好を自分たちの都合の良いように徐々に変えれば良いという訳です。10年単位で仕掛ければ、Champagneブランドで押し切れると考えているのでしょうが、たぶんうまく行くと思います。これまでも Champagne の味わいは時代とともに変化してきたはず。アメリカ製品とは違い、世の嗜好を狙い撃ちするほどには迎合しないが、かといって無視するほどではない、そんな形で変貌し続けます。市場に合わせ過ぎない距離感は、ブランドが流行を作っていると大衆に誤解させるために必要。変化を自分たちに有利な方向にもっていくのは、Champagne なら可能でしょう。

 

Pechedenferがイライラするのは、以前より質の悪いものを造って、平然と以前と同様の価格で売り、大掛かりな誤魔化しに懸命になっていると感じる点、それでも Champagneに代替品はないという事実の前に屈服せざる得ない点のためです。

 

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ランドビジネスにはこういう「悪どさ」は付き物ですが、それにしても Champagne は上手です。喜んで買う者がいれば、何でもよいという極論が通用しやすい世界なのですね、ブランドビジネスは。彼らは商売のあり方を教えてくれます。