PECHEDENFERのブログ

Le rayon d'action illimité. D'une véritable ruche bourdonnante.

実家で発掘するような代物

断捨離という言葉の発明以来、自分の所有物を捨てられることが能力と認識されるようになりました。物の価値は時間と共に変わり、新品 (@身の回り) はガラクタ (@物置) になり、やがて骨董品 (@倉)、出土品 (@土中) と変わります。資料に関しても、「書かれたもの」をどこまで取っておくとどうなるかは、それなりに重要です。そんなわけで、会員プログラムのカードや付随する説明書で古いものを発掘してみました。

 

いまでも(自称)日本の翼

まずはこれ。JALアメリカン航空との提携を1995年1月に開始、どちらの会員プログラムでも相互の利用でマイルが積算されるようになって、JALの会員用に配布されたカードです。クレジットカードサイズの硬質紙。1995年の発行だとみられます。

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このカードの空欄に名前と7桁の会員番号を記入して、(提携した事実をよく理解していない)アメリカン航空の係員に提示するという仕組み。裏面を見ると日本語で使い方が説明されています。

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中学生が外国に修学旅行に行くのに、重要な場面で意思疎通ができないと困るからカードを携帯させるみたいなノリ。これを全ての会員に配ったわけです。25年前のJAL顧客の英語力をうかがい知ることができます。

 

それからこのカードの発行後、国内でもマイレージバンクが発足しましたが、その前身がスカイプラスという名前だったこともわかります。今や貴重な資料となりました。(スカイプラスは1993年創設。国際線利用専用、日本在住者が対象でした。JAL Mileage Bankは米国在住者向けに1983年始まっています。AAがこの種の顧客プログラムを創始したのは1981年ですから、明らかに対抗策。写真のカードから暫くして (in 1997?多分国内線マイル加算開始と同時期。) 日米のJALプログラムは統合されましたが、今でも海外在住者と国内在住者では内容に差があります。)

 

JALのロゴは、JASと合併する前のもの。2世代前ですね。

 

いまでは(自称)日本の霊感

さて、ANAについても興味深い資料が発掘できました。パスポートサイズの見開きの説明書。コート紙です。この紙が印刷された時点で、すでに ANA Mileage Club は発足しています。

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表紙にはマイレージ提携会社のリストがあります。BA、CX、MHといった現在 oneworld の加盟会社と仲良くやっていたようです。デルタ航空も提携先でした。どの会社もロゴに古さを感じます。スイス航空と共にロゴが変わらないマレーシア航空。不朽のデザインなのか、新デザインに変える金がないのかその辺は不明です。

 

開いてみると、「空港係員より「ANAマイレージクラブ」の説明を求められた場合は、この面をご提示ください」と英語と日本語で書いてあります。

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心配のし過ぎという気もしますが、こんなものを作った ANA の意図は JAL と同じ。これがサービスだったのですから、彼らの顧客の英語力は驚くべきレベルです。今でも英語が不安な顧客は大勢いるはずですが、こうした印刷物を当たり前のように配布するなんて考えられません。

 ついでに言うと、ANA自身のひどい英語は電算システムがプリミティブな時代から変わっていないこともよくわかります。

 

ANAの会員カードやクレジットカードは、デザインがあまり変わっていません。ANA のロゴもほとんど変わりません。全日空という日本語が並記されなくなったぐらい。

 

ANAマイレージクラブにも前身があります。その名はプログラム A。わざわざ「国際マイレージサービス」なんて言っています。ANAの国際線進出は1986年ですから、10年ぐらいは international を意識してあちこちで使っていたのでしょう。要はこの international は、「5スター」みたいな役回り。一度目覚ましいことがあると、宣伝がしつこいANA。(実はこのプログラムも国際線専用でした。貧弱な路線網しか持たない時代、マイレージプログラムが日本にはほとんどない時代、見栄にこだわり過ぎあるいはJALを意識し過ぎだと言えそうです。国内線路線網はしっかりしたモノを持っていたのだから、なおさらそういう印象を与えます。JALJASと合併前だから、内外の重要性はANA と逆だった事も思い出さないといけません。「5スター」の根性は昔から。)

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これはパスポートケースだと思います。コミュニケーション介助のコート紙資料よりだいぶ前のものでしょう。残念なことに、これらの資料には発行日・配布日が推測できるデータは見つかりませんでした。

 

名前がよく変わるアコーはいつもアコー

顧客プログラムを最近 Le Club から ALL に変えた Accor グループ。実はその前の名称もありました。それは A-Club。その会員証。左下には会員名と会員番号が入りますが、デザインがシンプル過ぎて、印刷の途中段階のようです。

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裏面は英語とフランス語。

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当時のホテルブランドは、Sofitel, NOVOTEL, Mercure, ibis という Accor にとって時空を超える存在を除くと、Pullman, M Gallery, Swite NOVOTEL, adagio, allseasonsと5つしかありません。allseasons は無くなりましたが、それを合わせても9ブランド。現在は41ブランドに成長しています。裏面のスペースに印刷しきれません。

 

Mercure 札幌のサイトにとんでもない pdf ファイルがぶら下がっていました。

http://mercuresapporo.jp/wp-content/uploads/2011/11/AClub-announcement-letter1.pdf

2011年に作ったファイルらしいので、A-Clubの名称はその頃までは使っていたようです。そういえば「バス代わりの飛行機」開始時も A-Clubだった気がします。Le Club の寿命は、5年ぐらいだったということですね。

 

ちなみにa-club.comというサイトは、もはや存在しないようです。2002年に消滅したQualiflyerのサイトが今でも閲覧可能なことと対照的です。

Welcome to Qualiflyer

そこにはこの航空連合の歴史が記載されています。加盟各社の保有機材など、当時の状況も分かります。閲覧していると、資料、つまり記録は取っておくべきなのか、破棄、消去すべきなのか、モノとは違った難しさがある気がしてきました。