皆さんは旅の下調べをしますか。ガイドブック、グルメ本、グルメサイト、検索(○○なう、gkgk, mgmg、etc.)と、現代はいろいろな手段があります。海外へは出られない中、国内旅行を考えなおす方が大勢いるはずですが、定番の観光地巡りへ傾くことはないでしょう。旅好きなら独自性、新規性に惹かれるだろうし、予習スタイルもユニークなはずです。Pechedenfer も他人の「何を調べて旅行する?」には興味津々ですが、たぶん皆そうだという気がします。そこで本日は西から東へ、特徴ある港町をどう下調べするか、自分の方法を暴露。
長崎:流行歌チェック
長崎は流行歌に唄われる街とされています。カラオケ接待のキャリアが長い方なら、気づいていることでしょう。そこで長崎の予習は歌謡で。Youtubeでも聞けますし、歌詞を読むだけでも十分効果がありそうです。旅への憧れが増幅するかもしれませんし、旅の印象が強くなるかもしれません。
蝶々夫人(プッチーニ、1904)は除き、有名どころをざっとあげると、
「長崎夜曲」(東海林太郎、1941)
「長崎の夜」(藤山一郎、1951)
「長崎ナイト」(若原一郎、1956)
「長崎の女」(春日八郎、1963)
「長崎ブルース」(青江三奈、1968)
「思案橋ブルース」(中井昭・高橋勝とコロラティーノ、1968年)
「長崎は今日も雨だった」(内山田洋とクール・ファイブ、1969年)
「長崎の夜はむらさき」(瀬川瑛子、1970)
「精霊流し」(グレープ、1974)
「長崎から」(さだまさし、1990)
このリストでは最初の唄に親しんだ世代は100歳ぐらい、最後の方は50~60代の懐メロ。最近の長崎を歌い上げたものは拾えませんでした。長崎は J-Pop の舞台になりにくいのでしょうか。NGS48 の「誘致」もなかったようですし...。
流行歌は、その時代の人々が長崎にどんな妄想を抱いたかを伝えます。それを自分が体験する長崎に投影するのが王道。「精霊流し」の感傷と現実の騒ぎとのギャップに悩むなどという楽しみ方です。この港町を立体的に理解できることは間違いないし、旅と下調べにまつわるジレンマ*も回避されます。
*:旅は発見。下調べで知った分、発見の程度が減じますが、下調べがないと発見に至るのは困難。このジレンマは古くから欧州で指摘されています。
山崎から須磨:和歌・歌物語
船が付く(or 着く)場所を古くは津と言いました。それをまとめて管理する官職が攝津職。これが語源とされる攝津國。今でいうところの港があちこちにあったわけです。
現在の都市で乱暴に比較すると、京都の繁栄は平安京以来、大阪の繁栄は太閤秀吉以来。大阪は京都の半分以下の歴史しかありませんが、摂津というエリアを対象にすると話は全く違ってきます。京都遷都より昔から重要な地域で、文献にもよく登場します。
したがって大阪市内の繁華街ではなく、北摂エリアと阪神間を旅するなら、予習は日本の古典。長崎は歌謡に唄われ、大阪は和歌に詠われるのですね。三島江とか、須磨浦なんて万葉集でも大人気。
旅との関係では、「往時が偲ばれる」という噂が売りになります。そして歌謡曲よりはるかに想像力が必要な分、妄想も自由自在。もっともあちこちで1,000年を超える歴史が生きており、時々現代の問題として顕在化、勝手な妄想は吹き飛びます。例えば、
僕の音が無くなる?! 雅楽の危機! | 東儀秀樹オフィシャルブログ「SMILE」Powered by Ameba
こういう方面への関心を旅人目線と言ってよいのか微妙ですが、問題の地は三島江から 6 kmほど淀川河川敷を遡った所です。
今日、大阪府側(北摂)に港はほとんどありません。兵庫県側(県が分裂を恐れるのか、西摂はあまり使わないと言う事実)は、今でも立派な港を数多く抱えます。なかでも神戸は近代以降、巨大な港になりました。
神戸発展の影に消え去った多くの水辺の物語があり、それぞれ掘り下げられる点がこの地方の魅力。
横浜:変容するレシピ
流行歌の舞台としてなら、横浜は横綱級です。「赤い靴」(1922)から始まり、「伊勢佐木町ブルース」(1968)や「ブルーライト横浜」(1968)、「海を見ていた午後」(1974)を経て、「ちょっと待ってよヨコハマ」(2013)まで、ほぼ途切れなく唄われています。おかげでイメージはそれなりに保たれています。しかし長崎で使ったので、流行歌は外します。もし知りたい方がいれば、Wikipediaに独立したカテゴリーがあります。
Category:横浜市を題材とした楽曲 - Wikipedia
高いイメージとは裏腹に、旨いものが無いとグルメ連中に評判が悪い横浜。例外が中華。中華料理の現地化、現地化する中華料理という観点では、日本で最も興味深い場所の一つ。ライバルは多分長崎。長崎よりも中華街が圧倒的に大きく、高級中華料理で鳴らしている店が多い点が特筆されます。
長崎、神戸、横浜と港町に華僑が大挙して住み着くのは、不思議でも何でもありません。物流に有利で、商売を始めるのが簡単ですから。道路整備は高度成長時代以降の話。その前は鉄道(1872~)。そして明治維新(1867~)の前は、水上輸送以外には物流らしい物流がなかったのですから、華僑の偏在は当然。物流の過去は海無し県がなんとなく下に見られがちだとか、臨海都市は偉そうにしすぎだとか、今日の日本人の意識にも影響しています。
横浜なんて、東海道から見て横に広がった浜というレベルだったわけですが、蒸気船襲来以来、あれよあれよという間に大きくなり、今や日本第2の人口集積都市。関西の神戸、関東の横浜。共に原住民が僅かだった場所に自然発生した都市なので、常に流れ者が居つき易いようです。品の悪さはそれなりに。
ここでは日本の中華料理とその原型の料理を比較すると面白いように思います。後者は「本格」という枕詞がつけられますが、現地で調理を実施した方のレシピなどを見るのが手っ取り早いようです。
食材の入手可能性、現地の好みなどが一体に作用してレシピが変容し、やがて土着するのが世界各地の中華料理。あるいは中国本土でも同じなのかもしれません。王朝は移り変わり、都は移転しますから。
小樽:雪上歩行
埠頭や桟橋に着くと、まず考えることは boooooze!そして小樽はかなり特徴的な港町。この地ならではの「飲み」を求めるなら、雪の中のはしご酒でしょう。体験型観光の時代、北海道に行くのに雪から逃げてはいけません。冬の歩き方は必修となります。
道産子の雪上歩行を学んだら、吹雪を狙って夜のはしご酒。他の港町ではできないユニークな体験です。寿司で始まり、ラーメンで閉めるのは良いとしても、運河へ落下するとか道端で寝込むとか、随所にトラップがあります。ここは適切なコースを選択、命の心配がない条件で北海道の厳しい冬を体験しましょう。
雪上歩行の実習になるかどうかわかりませんが、小樽からそれほど遠くない場所で一般参加のイベントも行われます。こちらはしらふで。
北海道のイベントだと何となくおしゃれに見えるところがミソですね。「内地」でこんな催しを企画しても、山深い里の貧しい昔を連想させ、それが集客にブレーキをかけます**。何を企画しても、ディズニー的フィルターが理想的に作用する北海道。内外を問わない抜群の人気は、その辺に秘密があるような気がします。
**:北海道以外で同種のイベントが行われていないわけではありません。