PECHEDENFERのブログ

Le rayon d'action illimité. D'une véritable ruche bourdonnante.

映画に描かれるベルリン

気楽に国境越えができるにはまだしばらく時間がかかりそうです。不自由な身に慰めとも次回旅行に準備ともつきませんが、「その地を題材にした」映画はいろいろ示唆を与えます。そんなことでベルリンを舞台にした映画の特集。

 

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5つ取り上げてみました。ベルリンがドイツ統一後、映画製作の中心地として成長著しいことがはっきり感じられます。

 

1) Der Himmel über Berlin

ベルリン・天使の詩)1987年Wim Wenders。主演はBruno Ganz。ドイツ映画の鑑賞なんて、独逸文學専攻か、映画オタクという時代ではないでしょうか。ヌーベルバーグだか、ニュージャーマンシネマだか知りませんが、小難しい映画が高く評価された時代の残り香です。

 東西分断されているベルリンで「営業する」2人の天使のお話。永遠・退屈な天使の世界(白黒)から人の世界(天然色)へ思い切って引越します。ベルリンの壁よりかなり低い障壁にあっけにとられますが、これは製作者の意図でしょう。このフレームワークだと、コメディでも、寓話でも、SFでも可能ですが、人間・世界・宗教へ正面から切り込むマジメな作品に仕上がっています。分割統治時代のベルリンでしか撮れない映画。

 ちなみに1980年は西側ボイコットのモスクワ五輪1984年は東側ボイコットのロス五輪、1986年はチェルノブイリ原発事故、1989年が壁の崩壊です。時代を考えると、こういう映画が成立した理由は十分あるわけです。このアプローチと言い、映像の重たさと言い、2020年代に鑑賞するのはつらいものがあります。一方で現在のベルリンと比較するという楽しみもあります。Potsdamer Platz 周辺は、まさに「滄海変じて桑田と為る」です。

 

2) Good Bye, Lenin!

グッバイ、レーニン!)2003年Wolfgang Becker。一人の若者(♂)のモノローグです。1989年10月の前後、つまり東ドイツ消滅時の急激な変化が描かれます。1) のように世界を描くのではなく、家族の物語です。死が近い母親への愛情と消滅する祖国・社会・文化・習慣への哀惜とを重ねるアイディアは一見ありふれていますが、凡庸を予想してはいけません。

 ドイツ文学によくある「突飛な設定」を起点に物語が展開します。しかし背景とした時代と語りのおかげで全く不自然に感じません。Präteritumが効果的で、物語としての仕上げはすばらしいと思いました。しかし分類するならコメディ。つまり娯楽映画としても立派で、いろいろな世代の人が楽しめます。

 日本でも人気の高い Chulpan Khamatova が、ロシアからの看護婦交換実習生の役を愛らしく演じています。

 国家、社会の崩壊で廃人同様になった人たちは数多く、この映画でもぽつぽつ登場します。主人公はそうならずに強く生き抜くことができたのですが、その理由を考えると強烈な皮肉に対峙することになります。

 

3) Mann tut was Mann kann

(日本未公開?「男はできることを(何でも)行う」ぐらいの意味)2012年Marc Rothemund。舞台は現代のベルリン。30~40代の普通のサラリーマンを中心にして、得体のしれない連中を巻き込んだ群像劇。ヨーロッパの日常を題材にする時、異なる階層を等しく取り上げるのは難しいのですが、この映画の中心は多少なりとも知的な仕事に従事する都市生活者の日常です。心理的なドタバタの要素が多いコメディ。この世代のベルリンっ子は、今日こんな生活をしているのでしょうか。テレビドラマをしっかり作り込んだような作品で、難しいことを考えずに鑑賞できます。

 日光浴をする時に気持ちよさそうに目をつぶるシーンが出てきますが、この表情はベルリン市民の間で広く見られます。数年前の1月、ベルリン東駅前でバスを待つ初老の女性が、雲の間を縫って陽の光が差した時、全く同じ表情をしていました。なかなか美しい表情。

 なお女性の裸(や男性の裸と犬の裸)が結構出てきます。ポルノグラフィーの要素は乏しいというものの、ドイツ語の教材に使うとか、年頃の息子、娘と一緒に鑑賞する時には注意が必要です。

 

4) Er ist wieder da

帰ってきたヒトラー。「彼がまたここにいる」の意味)2015年David Wnendt。話題となった同名の小説の映画化。コメディなのか風刺なのか曖昧で、ドイツ文芸に特有の不気味さが一貫して感じられる作品。ヒトラーが突然現代のベルリン中心部に現れ、ひと騒動起こすという筋です。背景には、現代ベルリンを代表するような風景が数多く使われます。

 主役を務めた Oliver Masucci は、自分の身長が高く、やや小柄だったアドルフ・ヒトラーを演じることに躊躇したとのことですが、映画では背の高さはすぐ忘れ、やがてヒトラーにしか見えなくなる快演です。21世紀に現れたヒトラーは TV の「コメディアン」として売り出される羽目になります。そのプロデューサー Katja Bellini は Katja Riemann が演じます。地でやっているような演技です。台本は彼女を想定して書かれたのかもしれません。

 戦後のドイツでは、アドルフ・ヒトラーは描くことが一種のタブーでしたが、過去が完全に克服されたことを感じさせます。Vergangenheitsbewältigung という言葉が歴史の回廊で忘れ去られる予感がしました。

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5) Der Untergang

ヒトラー 〜最期の12日間〜。原題は「没落」)2004年Oliver Hirschbiegel。有名な Führerbunker を主な舞台にしたナチス終焉の群像劇。ヒトラーを中心に全編が展開しますが、彼の物語ではなくドイツ帝国枢要部の最期を描いたものです。例えば彼の心象の独白などはありません。

 この作品はドイツ人がヒトラーを演じた初のメジャーな映画という触れ込みでした。20世紀においては、ヒトラーは話題にあげることすら慎重にならざる得ないタブーだったようです。その意味では過去克服のマイルストーン

 映画製作のきっかけとなった出来事は重たく、最後までヒトラーの個人秘書だった Traudl Junge (戦犯となり半年間禁固、後年は秘書およびジャーナリストとして活躍し、2002年に死去)が死を前に執筆した回想録 Bis zur letzten Stunde の出版(2002年)です。TV ドキュメンタリーも作られたようですが、Bruno Ganz という名優がヒトラーを演じたこともあり、世界的に有名になったのはこの映画の方です。Traudl Junge 本人の語りが映画本体の前後に入ります。死を目前に彼女が証言を残した動機は、死の床で神父に罪を告白するキリスト教徒の心理と似ているなと思いました。

 映画では、エピソードとしてよく知られることが淡々と描かれていきます。ロシア軍のベルリン侵攻に打つ手がないことが明らかになり、3人残して他はすべて執務室から追い出し、わめきたてるヒトラーのシーンは有名になり、数々のパロディーを生みました。4) にもありますし、日本でも個人製作のものが Youtube で公開されています。他にもヒトラーAngela Merkel にした映画ポスターのパロディーも出現しています。右上のヒトラーの言葉もしっかりパロディ―に変換。気になる人は Der Untergang 2 (つまり続作。政治風刺であることは言うまでもありません。)で画像検索してみてください。

 

なお Führerbunker 跡地は、今日案内板が立っています。4) の映画でも出てきます。