バス代わりの飛行機

Le rayon d'action illimité. D'une véritable ruche bourdonnante.

よく見かける自己紹介の膨張について

映画の話を書いていてついついフランス語に関心が傾いてしまいました。自分では気がつきにくいのですが、いつも映像より言葉に注目していたようです。ブログの趣旨からはずれる一方、言語に関して気づいたことがあります。

 

疑惑だらけの自己紹介欄

昔からネットでは経歴、能力を過大に表現したり誤解に誘導するような自己紹介があふれています。特に「外国語」に関しては頻繁に見かけます。自己評価が甘すぎるだけなら可愛いものですが、どうも偽りを元に金儲けしたい人たちが多いようなのです。

 教師でもないのに「外国語」の勉強法を他人に説くなんて、その言語が使えない者のやることです。プロにはプロの方法があります。TOEIC(、TOEFL、Oxford 何たら、Cambridge 何たら)の点数なんかを売りにして、箔付けすることはありません。教師なら売りにするのは教育の能力であり、英語の能力そのものではありません。 

 一方で「外国語」が日常になっている素人は、他人にその勉強法をアドバイスできないのです。理由は以下の通りです。

 

(1) 日常的に使う言語では、勉強する意識は生まれません。事実はどうかと言うと、意識下では新しい表現に関心があり、次々記憶しています。単一言語の世界にいる人が、新しいスラングを覚えることと同じレベルの話。したがって一つ一つの知識や情報源は披露できても、メソッドなんてありません。

 

(2) 「外国語」の場合、能力開発の入口部分では良い方法があります。入門から上級までの教科書、授業などです。それを超えると素の情報や娯楽を求めることになります。個人の関心と性向に言語が依存するようになり、万民向けの方法はなくなります。後日自分のことを振り返っても、それが他人の参考になるとは思えないでしょう。

 

(3) 少なくとも接するのは母語話者用のリソースばかり、加えて母語話者との交わりが増えます。言語能力の自己評価は(「低く」ではなく)薄くなります。「何か特別な事か?別に得意ではないし...」となるわけです。外国語として学習中の他人(無垢の人、純粋な人)にアドバイスをする気なんて起きません。

 

しょせん言語なんて身体能力です。日常的すぎて自分自身では特別な意識を持ちにくいのです。自らの「外国語」の能力を強調する人たちは、特定の目的(e. g. 求職)があり必要に迫られているのか、意識しなけばならないほど低能力なのかのどちらかでしょう。

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バレやすい英語

使用人口が多い英語。その能力に関して自分を大きく見せることがいかに難しいか、気がついていない人が多すぎます。

 目立つのは、経歴や現況と使用言語のギャップです。とてもシンプルな事ですが、語彙の偏りが感じられないのは異常です。

 経歴や仕事内容を膨らませる者は、自分の周囲も別の何かに見せる必要があり、飛び交う言語も偽る必要があるのです。こんなフィクションを製作するのは、プロのライターがシナリオを書くようなもの。例えば専門的な世界を舞台にした映画やTVドラマは多くても、現実にその世界に身を置く人間からすれば、あり得ないシーンが次々登場し、リアリティに乏しいのがエンターテインメント。英語の能力を飾ろうとする者は、そんなことも知らないのでしょう。一流のライターが行ってもその程度なのです。素人が偽ると、数フレーズで馬脚を現します。

 ひどいのになると、米国在住で(それなりの能力が必要と想像される)仕事に長年従事していて、日本の中学生の英作文並みの英文を披露する者もいます。こういう場合は自称と能力のギャップが大きすぎで、問題は別次元にありそうな気がします。

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要素の相関

最近の偽り系アカウントの自己紹介欄では、GAFA勤務とトリリンガルが流行しています。勤務先の疑惑は他でも叩かれることが多いので、ここでは言語能力の不自然さを指摘しておきます。

 

トリリンガルでは日本語と英語がデフォールトで、それに加わるのはたいてい中国語です。アメリカに居た経歴が書かれていると、スペイン語ということもあります。

 

実は自分が何語をしゃべるかなんて、かなり偶然に支配され、選択の余地は小さいのです。これは「人生は意のままにならない」の corollary。英語は共通語として世界中で勉強されるので別ですが、それ以外は本当にこれ。かつてその話者に囲まれていた時期があった以上のものではありません。言語はその人の来歴を表します。方言をお持ちの方は、自分と方言との関係がずばりそれです。

 それが中国語やスペイン語のように「もっともらしい」言語()であり、その人の発想や習慣にその言語圏の影響が見えないとなるとかなり怪しくなります。トリリンガルを自称するぐらいなら、人格形成にそれぞれの言語の強い影響を受けているはずです。その瘢痕をすっかり隠すなんて、ほとんど不可能です。

 ドイツ語なんて語彙、会話が日常的であればあるほど、言葉を覚えた土地がバレやすくなります。英国に居た経験があり、英語が得意な日本人は、飲み食いで(私から見て)不思議なモノがテーブルの上に登場します。小さな一言、小さなアイテムで分かってしまうので、隠そうなんて無駄な努力。逆にトリリンガルを吹聴するぐらい言語に意識が向いているなら、むしろ積極的にそういう面を披露しそうなもの。全く気配が感じられないのは極めて不自然です。

注:「使用人口が大きい」というような実利から示されているようでは、かなり怪しいものです。

 

言語ー生活習慣と言う自然の相関が見えず、話題の勤務先―トリリンガルという疑惑の相関が見られるアカウントやサイトは無視が一番です。

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バイリンガルトリリンガルという用語の罠

日本語の母語話者に見える者が日英バイリンガルを自称すると、TOEICの点数とは次元が違う英語の運用能力が期待されます。逆に自称の根拠が試験成績だと、嘘くさく見えます。英語は利用人口が大きいので、試験成績と現実世界のギャップが広く深く理解されているためです。

 トリリンガルと言うと、何となくぼやけていませんか。日英中トリリンガルなんて、中国語も日本語と同じぐらいできる印象を与えます。しかし現実には勉強したことがある程度かもしれません。むしろ自称する人間はほとんどそうでしょう。

 バイリンガルトリリンガルという用語から素直に想像されるぐらい複数言語を使う人がいたとしましょう。その場合、全ての言語が同じ程度の能力と言うことはあり得ません。まずは分野によって得意な言語、不得手な言語があります。金融なら英語が楽で、料理ならフランス語が楽みたいにデコボコが出てくるのは当然です。さらに「何語で世界を学んだか」という個人の経歴が加わります。ニュルンベルクに住んでいた時は欠かさずミサに通い、その後マドリードで本格的に乗馬を習ったなどという経歴なら、ドイツ語が神に語る言葉で、スペイン語が馬に語る言葉になっても何の不思議もありません。

 

欧州には 4つぐらいまでの多言語話者は結構いるので、 Pechedenfer は多言語話者に接する機会に恵まれている方だと思いますが、素直な意味での多言語話者は、以下のような特徴を持ちます。

 

・各言語で文化依存性のある冗談が言える。用意されたネタではなく、当意即妙。大雑把に言って英国ならユーモア、フランスならエスプリがらみ。母語話者は笑っても、他は何が面白いのか理解不能というような冗談。

・当意即妙で時事ネタをもとにした冗談が各言語で言える。内外の違い、地域の立場の違いなどで表現が大きく変わると言うものの、このハードルは低め。

・ある状況にぴったり合う表現、慣用表現、引用を思いつく言語が、状況によって異なる。

・日常的に各言語で素の情報(ニュース、SNS etc.)を得る。

・同一の出来事のニュースを2つの言語で比較して、取材・翻訳・解釈の間違いを指摘することがある。その動機=辻褄が合わないので、別言語で確認した。

・(英語なら要素を並べる時は3個に固執するとか、結論を先に言うとか、)その言語の習慣に沿いながらも、個人の癖が出た文体で発信を行う。

・効果的に新語を作ってコミュニケーションができる。

 

どれ一つ認められないようだと、学校で勉強しただけとか、○○検定××級だとかという可能性が高いと思います。

 トリリンガル自称組は、100頁の入門書を10頁まで読んだところで、できる言語に数えているのかもしれません。それでも詐称にはならないところがミソ。そもそも基準がありませんから。

 

最後に簡単な判別法を紹介しましょう。2言語、3言語を毎日使う人は、自分がバイリンガルトリリンガルとは公言しないものです。多少なりとも常識があれば、何をもってそう自称できるのかわからないし、平凡な日常をあえて宣伝する必要はありませんから。