さて2020年 3月に外国への渡航が難しくなって以来、海外旅行の状況は本質的に改善していません。もう 1年以上も先が見通せない状態が続いています。
ゴールデンウィークは、2年続けてレジャー渡航が無理になる公算が大きくなってきました。イスラエルや UK など、ワクチンを広く接種した国では、新規感染者が劇的に減少しているので希望は持てます。先進国間では夏にはボチボチ、年末には普通に行き来できそうです。
そうは言っても5月が美しい都市は数多く、今年も諦めなければならないのは癪です。そこで5年前のベルリンの5月の写真でも並べてみることにしました。
その時は BA で渡伯しました。
テーゲルは古い空港で、出発客と到着客の動線分離の発想がありません。到着も出発もほとんど同じ光景を目にすることになります。
Leysieffer は本拠地が Osnabrück (Niedersachsen) のチョコレート屋。ベルリンではあちこちで見かける気がしますが、世界展開しているわけではありません。シャポー本八幡にも出店している GODIVA とは比較できません。テーゲル空港の土産販売店としてかなり存在感があった支店。
個人的にはミッテの店も使ったことがあります。そちらの店員は非常にフレンドリーでした。チョコレート屋では大切な要素。
隣に喫茶空間が併設されており、甘味と軽食が楽しめるテーゲルのオアシス。日替わりランチメニューは黒板手書きでした。そういう演出はなかなか立派。
到着ですから、うろつく理由はありません。さっさとベルリンへ移動しなくてはなりません。
ドイツ語だと「歩いて出口」と「乗って出口」は(観念の上で)しっかり区別されます。しかし車いす、スケボー、担架など微妙な方法も多く、世界は彼らが期待するほど簡単に割り切れません。
宿はウェスティン。アップグレードされ、スイート(保安上の理由から、番号がエレベータ前にある方向案内に記載されない部屋)でした。インテリアもなかなか豪華。
ホテルに滞在して、部屋の広さ、ラウンジのタダ飯の種類、飲み放題のシャンパンの市価ばかり気にしているようでは、貧困さが表れます。育ちが貧しいのは本人の責任ではないで仕方ありません。ただ SNS でそれをわざわざ強調するのはとても不思議なことです。貧しさから心を解放することは誰にでもできるはずですが、やらないのですね。
これは別のホテル。グレードはそこそこの Schwarzriesling (=ピノ・ムニエ)。ドイツやフランスに居て、飲み放題に付き合うのは重大な機会損失、大いなる時間の無駄。
さて知っている人も多いはずの赤毛のベティ。もう引退したようですが、5年前はまだ現役。
ベルリンは公共の場に標語が多いように感じます。
「ベルリンを思い出させてやる」と武器になりそうな風景と言えば、これ。Weltzeituhr とテレビ塔。共に1969年に完成した DDR の遺産。宇宙時代の幕開けを大衆に感じさせようとした為政者の意図が感じられます。東西ドイツで Kosmonaut と Astronaut の2つの単語が並立し、それが一般市民に良く知られていた時代は遠い過去。
これらが竣工した頃、ソ連―東側はいろいろな分野で科学技術を誇示できました。1960年代までは技術、生活、デザインなど、東西であまり差がなかったのです。DDR 博物館を訪問すると、その辺の歴史はよく理解できます。画像検索でトラバント 601 と日野のコンテッサ 900 を比べても納得できると思います。
アメリカ―西側との差が大きくなったのは1970年代。半導体開発の差が大きな要因だったようです。
ベルリンに三つあるうちの一つのオペラハウス。美術館の展示室のような foyer が特徴的な Deutsche Oper Berlin。
人がいないと最高の空間。陽があるうちにこういう空間を味わう贅沢な時間。
演目は椿姫。
ドイツのオペラハウスの非常に良い点ですが、物語り、セリフの言い回しが評価されます。このオペラは何度か見ていますが、今まで全く心に届いていなかったことが思い知らされました。どうも Patrizia Ciofi の歌唱のせいなのです。それは楽器演奏のように語られる歌唱の正確さや声量ではなく、語りかけや心の印影の表現でした。多くのドイツ人と同じく、イタリア語はほとんどわからないのに不思議なことです。
幕に投影される照明に着目。
軽食に多少良いワイン。このワインを作ったオヤジと直接話をしたことがあるのですが、そんなことは二の次の Kronsberg Spätburgunder(=ピノ・ノワール)。
ベルリンと東京の類似点は、(郊外を除く狭義の)都市の中に森と言っても良さそうな大規模緑地があることです。パリと比べるとその差は明らか。
点在する建物が何であるか、気になる人も気にならない人も散策は気分が良いものとなります。東京と対照的な点は川に堤防がなくても平気なところ。大陸は水量が安定しているためと、運河が発達しているので水量コントロールが簡単なためのようです。
少し前の多摩川の水害では、堤防を作っていなかった場所が東京側の浸水の原因になったようですが、作りたくない者が出る理由は分かります。日本では危険な「水辺の誘惑」。
こういうのは離宮と言うのでしょうか。Schloss Bellevue。都市中心部の森 Tiergarten の北端部にあります。
宮殿らしく正面から Potsdamer Platz まで通りが一直線に延びますが、現在の運用は森の中の道。自動車は通行できません。こういうのは時代時代で変わりそうです。
この道をどんどん歩いていけば、ベルリンの一つの極、Potsdamer Platz に出ます。方向音痴も道に迷いません。多くの日本人におなじみの Philharmonie。
すぐ近くにはソニーがありますが、こんな場所に拠点が造れたのは、当時の大賀典雄社長の政治力。
ソニーにとっても栄光の時代。
夕方は赤ワインで名高い Assmannshausen の Spätburgunder (ピノ・ノワール)から造った Weissherbst(黒ブドウから醸造するもののスキンコンタクトを短くして、白~淡いロゼに仕上げたワイン)。最近は Weissherbst と正直に(?)申告するより、フランス語の Blanc de Noir (複数の黒ブドウ品種から醸造するなら Blanc de Noirs)と書いた方が受けが良いらしく、そんなラベルばかり見かけるようになりました。
食品ラベルには、いろいろな言語が使われるドイツ。一つの商品のビニール袋が3言語使っていることは珍しくなく、4言語なんていったいどこにいるのかわからなくこともあります。
それはともかくこのワイン、目が覚めるような品質でした。国内では高級赤ワインの顔があり、そこそこ売れるので、この種のワインは一般化しないでしょう。しかしこういうのはアリです。
放浪癖があり、一か所に留まるのが苦手。結局動きまわります。
多角形ターミナルの中央は、得体の知れない部分。広告で隠されていますが、多分駐車場の道路があるだけ。
通路用バンドだけが制作されていたベルリンブランデンブルグ空港。本来の場所では使うに使われず、ここテーゲルで活用されます。歴史の教えるところでは、開港までまだ4年あります。
こういうセンスは理解困難です。
各種サービスもかなり乏しいテーゲル。面積が限られるため仕方ないところ。
新空港はそつなく必要なサービスをそろえていると思います。
いつどこで拾ってきたのか忘れてしまったベルリン随一の美女。
この肖像が誰かわかる人はベルリン通?
国立歌劇場は Deutsche Oper からも近いシラー劇場。
現在は Unter den Linden に面した立派なオペラハウスに引っ越しています。シラー劇場の仮住まいを古き良き時代と思い出す人はおそらくいないでしょう。もはや忘れられています。
さてここからは出発の日。確か早朝でした。LHRで BA 5 便か、BA 7 便に乗継。つべこべ言わずに写真だけ見せろと言われそうです。
ラウンジも良いのですが、Leysieffer が開いていれば、断然そちら。
調べた範囲では、新たに開港したブランデンブルグ空港には入居していない模様です。少し残念。出発前のチョコレートドリンク・クリーム入りも完全に過去のもの。
無事に LHR に到着します。BA を使う方にはおなじみの場所。
ここから先の話はどうでもよく、これでおしまい。結論はなし。