何年も前から、一度行ってみたいと思っていた所がここ。幸か不幸か、近くに用事があったので思い切って寄り道しました MAD City 松戸。最近息をしているのかどうか心配される砂原浩次ゆかりの地。
古式に則って
こだわりの観光なら、ここに降り立つことから始めましょう。江戸川土手です。対岸から渡しはとうの昔に廃れていて、千住から続く街道は完全に分断されています。
MAD City の心臓は松戸宿。江戸時代、対岸との往来は盛んで、橋がない結果、船着き場には人が溜まることになったようです。
空港近くにホテルが集まることと一緒ですね。
この部分は水戸街道の一部でも、実質は町から土手に出る脇道になっています。もちろん渡しの廃止が原因です。一方で街道は川に沿って延長され、重要幹線へと発展するという展開になった模様。
ちなみにこの赤いお宅は、仕出し屋。地元の仕出し屋がやたらと多い松戸ですが、その理由をご存じの方はいらっしゃいますか。広大な東京都有地の存在とも関係しているのでしょうか。
今でも街道らしい街道
往来がある所まで出ると、一見どこにでもある地方都市。この道は古くから水戸街道と鮮魚街道(なまかいどう)の重複区間です。今ではそれに流山街道というタイトルが加わり、三重重複区間。ごく一般的な傾向として、地元民は自分の好きな名前でしか呼びません。旅人にはトリッキーな状況になっています。
奈良井、妻籠、馬籠などの街並みを期待するのは無謀です。街道に面した建造物は全て明治以降のものではないかと思います。旅籠もありません。
脇本陣は現在立派な建物に変わっています。
郵便局の北隣のブロックには、幕末に建てられた本陣が21世紀まで残っていたそうですが、現在は低層マンションに変わっています。お隣の宿場近くの小金城の遺構も昭和時代に多くが開発で失われたとされるし、史跡保存への情熱が薄いお土地柄なのかもしれません。
とは言うものの明治~大正期の木造建築ならかなり見つかります。どれも雰囲気十分で、来たかいがありました。
ファサードだけ新しくした酒屋。
現役の和菓子屋。饅頭が多いことも街道らしくて好印象。「すぐやる菓」などとニヤリとしてしまう命名も気に入りました。
二、三購入してみました。普段使いの和菓子には上等です。手作りの和菓子屋では、使っている水が鼻につくものですが、ここの餡は問題ありません。Pechedenerは水に敏感になりたかったのではなく、このために人生ずいぶん損をしています。
知り合いの松戸人が井戸を持っていて、「茶を点てると違う」と言っていたことを思い出しました。松戸と言っても広く、水質も一様ではないはずなので、それとこれがどこまで関係するかはわかりません。
栄泉堂岡松の和菓子と並び、松戸宿の土産になりそうなのは、三河屋の佃煮。建物は鉄筋コンクリートですが、店内に魚類捕獲のための道具、大型の竹籠が飾ってあります。街道を意識しての店構え。
ウナギの佃煮が自慢なようです。次回の訪問を誓いました。
佃煮の三河屋から通りを隔てて反対側が松戸神社。
地元に溶け込んでいる様子です。
街道を北へ進むと、普通に人が住んでいそうな古民家。街道では少し先に橋が架かっています。
橋を渡って1分も歩けば、また素晴らしい木造家屋。複合施設として使われています。今年3月に開店したツドイサンドが、毎日 9:00 -17:00 に営業。サンドウィッチは take-away だけではなく、2階で食べることができます。
今回は利用できなかったので、次回は朝食目当てに再訪します。
街道のイメージを生かすことが価値
もう少し北に行くと、地元では有名そうな蕎麦屋の老舗、関やど。千葉県最北端の関宿とどういう関係があるのかわかりません。自己紹介では流山で営業していた店が明治元年頃、松戸神社近くに移転、その後ここへ再移転したとのことです。
雰囲気十分の店舗は街道から東に入ったところにありますが、ほぼ隣接した土地で街道に面する建物も同じ一族の飯屋。
ここはどんぶり飯が中心のようでした。昼飯時と夕食時の営業。
蕎麦屋は古街道の店としての演出が特徴的。こういう機会では訪問する価値が高いと思いました。
例えば玄関のしつらえ。ガラス戸で外と隔絶した空間にこういうものを置くことに違和感を覚えますが、この地ではこうなのでしょう。こんな違和感も旅ならでは。
庭にはかなり力が入っています。こういう光景を目にしてのお食事。
天せいろうは 1,450 円(+税)。量は少なく、丁寧に仕上げてあります。腹を満たすつもりで入ると、失望するかもしれません。少量でも気持ちは満足できます。
木造建築を維持するには金がかかります。空間は料金の一部だと納得できます。初老男性のグループが昼間から酒を飲んで賑やかでした。地元の言葉も存分に聞け、他所者には良い店です。一方、現役世代の地元住民には敷居が高そうです。
そば処の方は昼から夜まで連続営業。その日の蕎麦が無くなったら閉店というパターンです。
店舗前、玄関横の石灯籠も良い感じです。
砂原浩次の原点を訪ねて
関宿屋から直線距離にして100 mほど西に砂原浩次の通っていたらしい幼稚園があります。
敷地の反対側からは、江戸川の土手が目と鼻の先。ということは、芝滑りに恵まれた環境だったはずで、羨ましい限り。
正門の正面は川。たもとに歩行者用の橋が架かっています。
黄色い帽子をかぶった幼い砂原浩次が、放課後友達と競ってこの橋を渡る光景を想像してしまいました。
橋の上からの風景は、街の魅力四割増しだといつも思います。
卒園後はたぶんこちらの小学校。幼稚園の隣です。
来た道を関宿屋まで戻り、さらに東に道を進んでいくと JR 松戸駅に到着します。松戸宿は、令和の御代でも交通の便が良好。
エピローグ
最後まで書いてから、念のため復習してみたら、砂原浩次のプロフィールが存在していました。何と、広島県出身ではないですか!つまりこの旅は大部分が妄想に支配されていたのです。松戸出身が完全に思い込みだったとは。
妄想に彩られる MAD City。真夏の白昼夢でした。