ネゴシアンブランドのボルドー赤
このカテゴリーのワインは、昔から安くて上質と言うことになっています。「日常ワインは、このレベルで十分だ」と思わせます。税込1,100円台という価格帯なので、競合ワインは世界中にありますが、飲み飽きないことはボルドーの長所。
日本ではサンク・エトワール(5つの星)として販売されていますが、ワイン名をカタカナ表記するなら、サンク・エトワレです。「星付きの五軒(または五人)」という意味か、「何軒かの(または何人かの)5つ星」という意味になります。それが意図したワインの名前なのでしょうか?
やや意味不明なためか、仏語の小売サイトもGinestet Cinq Étoiles (日本での販売と同じサンクエトワール=5つの星)と勝手に訂正して販売していました。まあそう言うことです。ボルドーの農民に言葉のセンスを求めるのもどうかと思います。
étoiléはレストラン、ホテル、シェフなどを形容し、「星が付いた」という意味で使われます。紛らわしさを回避するためか、三つ星シェフを表す時は、triplement (= 三重に) を用いて、chef triplement étoilé (単数), chefs triplement étoilés (複数) などとするのが普通です。
5つ星航空、日本の霊感は、
une compagnie aérienne quintuplement étoilée, l'inspiration du Japon.
で問題ありませんかね? 寝言のように締まりがない日本語の雰囲気も出ているし。
若い Château Cantenac Brown
ボルドーも1855年の格付シャトーになると、ファーストクラス向けです。Qatar 航空だとビジネスクラスでもリストに載っていることがあります(が、実際にキャビンでサービス可能かどうかは別問題。)
これぞ Médoc。高品質でバランスよく仕上がっています。Margaux や Saint-Estèphe のワインは若くても荒々しくならず、熟成はするものの Pauillac や Saint-Julien のワインとは意味が違います。またこういう事を言う人はあまりいませんが、cabernet sauvignon にとってMargaux は約束の地のようで、Riesling にとっての Mosel-Saar-Ruwer、pinot noir にとっての Côte d'Or に匹敵します。cabernet sauvignon の比率が大きい Margaux のワインは感心することが多いのです。
René Bouvier の「尻見せ」
もう一つはJALファーストクラスラウンジで採用されたことのあるブルゴーニュの「尻見せ」または「尻見え」。
https://pechedenfer.hatenablog.com/entry/2016/10/10/000000
la Côte de Nuits の単一区画からのブドウという限定性、加えてまずまずの内容と、質を問題にするならファーストクラスラウンジを飾るに十分なワイン。ラベルにデカデカと書かれた「Cul (= 尻)」だけが航空会社の提供する格式に全くそぐわないのです。JALラウンジで見た時、ギョッとしました。
自分で選んで買うぐらいだと、ワインについては話すことが多過ぎて、テーブルでの会話が蘊蓄だらけになります。知ることは良いのですが、おしゃべりの節制は重要。素晴らしいワインを前にして、FOP単価、今年のサービスセレクション、エコノミー最前列の脱靴率について語る方が良いのです。
そうは言うものの、ワインは会話にきっかけになりやすいのでネタに利用しないのはもったい話。上っ面の知識ではなく、会話の中であなた自身が表現されることが望まれます。
欧米の出身者を前にするなら、発想の違いに注意することも重要です。ある人にとって常識的、ある人にとって不思議ということは多く、テーブルで配慮することがあなたの評価に関係します。
赤ワインが好みか、白ワインが好みか
アメリカで問題になる嗜好の違い。ヨーロッパではこういう自己認識や分類は、一般的ではありません。少なくとも個人の好みとして話されたことはありませんし、聞かれたこともありません。アメリカ人の文化消化の特徴が見られるようで、興味深いところです。
ワインは日本人にとって日本酒
いろいろな神秘性をまとう点が日本酒に似ています。明治以前から続く祭り(か、それを模して後世に始めた祭り)の時に出され、皆で分かち合う飲料は圧倒的に日本酒。ワインはキリスト教にも取り入れられ、現代の儀式でも頻繁に使われます。物語や歴史で語られる時の独特の視線にも共通性があるように思われます。
かといって日常では、そんな特別感を意識する必要はありません。ごく普通に大量に消費されます。アル中の原因になり、品質はピンからキリまであります。
黒ブドウの栽培が難しいドイツでは、赤ワイン着色への執着が摩耗しませんが、米栽培に多大な努力を要した北海道の人たち、良い蕎麦はとれても米はあまり良くない産地の人たちの良質な米に対する感覚と通じるところがあります。
また自分の生育した地方の日本酒には特別な慣れが生じてしまい、味覚の基準を形成してしまう点もワインと似ています。
醸造酒はチーズ、納豆と同様、いろいろな成分が含まれており、ひとつとして同一のものがないことが実感できる点も共通します。
ビールかワインか
どちらに親しんでいるかという意識は、中欧には残っています。年齢が上なほど傾向が強いはずです。現代では様々な飲食物が流通していますが、30年前はそうではありません。アルコール飲料の消費は、土地の文化や文明に支配されていたのです。ビールかワインか、シードルかワインか、白ワインか赤ワインかと言った消費傾向の違いは生まれ育った土地で決まるのが普通。その人が喋る言葉、訛りと相関があります。「白ワインを飲むか、赤ワインを飲むか」については、アメリカとは全く異なる感覚があります。