パンデミックにあっても、東京の年の瀬は変わりません。お店では時間変更、休業のお知らせとそれに対するお詫び。そして新年も変わぬ愛顧を賜りたい旨の挨拶があります。親しさと礼儀との調和。東京も捨てたものではありません。
生粋の江戸っ子である Pechedenfer も雑事の隙間を突き、私的な挨拶巡り。少し贅沢という位置づけながらも普段使いするお店に顔を出します。挨拶は口実で、自分自身に甘い顔。よくある話です。
こんな弁当
や、こんな寿司
など、江戸の味を求めて、街に出ます。
終息の兆しを見せない疫病禍。外国に出られない結果、平凡で退屈な日々が帰ってきて、子供の頃に慣れ親しんだ感覚を取り戻しました。しんみりと昔の気分に浸っています。
...ウソです。すみません。
何を隠そう、隠さんでもええけど... Pechedenfer は大阪出身とお墨つき。根拠は「出生から15歳までの間に一番長く過ごした場所が出身地。」と国交省が言う基準。サイエンスはいかにも適当ですが、基準は厳格。オミクロン株の濃厚接触者の判定と同じで、お上のいうことに逆らってはいけません。
出身地が気に入らず、抵抗してもおそらく無意味。アイデンティティに係わる問題なので、性同一性障害ほど深刻ではないものの、それに準じる辛さを感じる毎日になります。
最近見つけた定義なんやけど、これやったら、わしも大阪出身になってしまうがな。国が認めた大阪人やて。ほんならお好み焼き屋でライスセット頼むんか。ビールのあてにたこ焼き出すんか。勘弁して欲しいわ。そもそもこれ国交省が口出しする話か。法務省の管轄ちゃうんか。納得いかんやろ。ほんで調べてみたら、「国交省」の部分はデマなんやて。びっくりしたで。ほんま頼むわ~。
ぐらいは言うかもしれません。口を開いた瞬間に怒っているのか、茶化しているのか、誰に気持ちをぶつけているのか、さっぱり分からなくなっています。テンポと調子に支配され、主張が霧散する会話。大阪のテロワール。
このブログでは大阪弁を時々挿入するので、改めてカミングアウトする必要はないと思います。これは表現の効果が目的であり、分かる人にだけ分かって欲しい!という甘えた自己主張ではありません。そもそも大阪を意識外にずっと放置していたぐらいです。大阪弁なんてしゃべれるはずがありません。
...ウソです。すんません。日本橋(にほんばし)で「袋持ってますさかい。」はあかんなと反省したばかりでした。
すっかり怪しいヒトとなりましたが、このブログは大阪人(なんか?ほんまショックやわ...)が、東京人の顔をして書いているということで結構です。
したがって関西弁に変だと思う部分があっても、それはおそらくエセではありません。語彙に関しては地域差があるし、古語や古い活用も積極的に使っています。地域による語感の違いも無視できません。
方言であることの帰結として、関西弁は標準化が進んでいません。畿内では細かな地域差が顕著。下手をすると集落ごとに言葉が違います。話す言葉でどこの出身か、どういう経歴の持ち主か想像がついてしまう怖さがあります。たぶん大っぴらに用いられ過ぎていることと、声が大きいことが問題。
基本語彙の高低アクセントすら、地域性があります。二音の名詞では特に目立ちます。例えば、コメは泉州では東京と逆、摂津では東京と同じアクセントで発音する人が多いようです。
しゃべり方の抑揚や緩急の地域差も大きく、個人的には高低アクセントよりこっちの方が出身地割り出しの鍵になります。
それに加え、耳ダンボは大阪のデフォ。噂好きと言うより、たぶん状況分析です。目の前の相手は蔑ろにしないで、耳に入る言葉を満遍なく拾い、今自分の周りで何が起きているか把握する。休みがないネタ探しと同じで、大阪では割と平凡な営み。
これに関しては面白おかしいことをよく体験しますが、話が長くなるので省略。パンデミックが今後一年以上続けば、書く機会もあることでしょう。
...結局何の話や。