PECHEDENFERのブログ

Le rayon d'action illimité. D'une véritable ruche bourdonnante.

ベルリンのことを調べていて思ったこと

 

その 1

ドイツ出羽守のみならず、ドイツ人も「ドイツでは」をよく使います。国外向けに言い出す点が出羽守と一緒で、卑屈な精神構造とは無関係な点が出羽守とは異なります。そしてこれが実に曲者。

 問題は国の成り立ちに起因します。ドイツは国家としての統一性を維持するため、国民にドイツ人というアイデンティティを持たせることに成功しています。一方、ドイツでは自分のエリアのことしか知らない人間ばかり集まっていると言っても過言ではありません。その結果ドイツ人の「ドイツでは」が、実は「うちの地方では」であることが多くなっているのです。もちろんこれは混乱の元。

 

例えば Bezirk。これは日本の県に相当します。州の下の地方名。しかしこれはバイエルン州の話で、ベルリンでは日本で言うところの区。市の下の地区名、つまり Stadtbezirk を指します。中国の市と日本の市との差より大きな違い。Pechedenfer はこのことをベルリンに行って初めて知りました。要は「そんなこと誰も教えてくれませんでした!」

 次の例は知人(独語母語話者)が遠い所に住んでいた時の体験談ですが、Sonnabend に約束をして日曜の夕方の予定を開けていたところ、土曜日のことだったので慌てたとのこと。「そんなの分かるわけないじゃない。*」と言っていました。

*:誤解されることがあるとは話には聞いていたのですが、実際に起きてびっくり。こういう方向への筋の展開には、「私のせいじゃない」という意識が働いています。ドイツでは、過ちと責任の因果関係を意識し過ぎな人が多い気がします。

 

Pechedenfer もベルリンでは Metzgerei(肉屋)を Fleischerei と言うことを知ったのは、現地を初めて訪問した時でした。混乱はなかったのですが、何だか変な言い回しです。ついでに言うとベルリンの肉屋(人)は Metzger ではなく、Fleischer です。

 

言葉の用例の違いは体験すれば知識となりますが、どこで何と言うかというテーマに彼らはあまり関心ないようです。恐らくそのためだと思いますが、訪問者も関心を持たず、初めての州(と言うより国=Bundesländer)のことはほとんど知らないという認識が持てません。

 彼らは州が違うといろいろなことが違うことは知っています。しかし具体的に何が違うのか全く関心が無く、知らないし知ろうともしません。そんな連中が、お節介で親切な国民性も作用して、外国人に対して「ドイツでは」と説明してくれるのです。ドイツ訪問のリスクですね。

 様々な呼び方が存在するという事実が認識されているのは、パンぐらいではないでしょうか。ドイツは世界一パンの種類が多いと言ってよいと思いますが、名称が地方によって滅茶苦茶違います。似たようなパンがあっても、「○○地方の相当品」なのか、同じ物なのかは線引き不可能です。そのため安易に標準語の設定ができないものと思われます。住まない限り使うことがない言葉なので、他所のパンを覚えたりしないのがドイツ人。祖国統一を成し遂げ、共通の言語を持つようになったものの、パンに関しては統一の影響が見られないという世界観は、多くのドイツ人に支持されると思います。もっともこの世界観を披露する時、パンを何と呼ぶかが重大問題です。

 

日本でもスコップとシャベルの違いとか、うどん・そばに関するキツネとタヌキの違いとか、地域性が顕著な例が見つかりますが、ドイツでは全くレベルが違います。初訪の地では同一国のつもりでいると混乱するので、別の国に行く気分になるのが正解。

 

しかし似ているものは似ているので、実践は大変難しいわけです。ベルリンでも、Krapfen は Krapfen にしか見えません。

Krapfen - Klassiker selber machen | Einfach Backen

今更どうすればよいのかという問題になります。

 

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その 2

日本人の不自然な英語の一つの典型に、自分の住んでいる場所の表現があります。英語でも仏語でも独語でも同じですが、国、市、地区、近所の目標物という4つのレベルが多用されます。県の単位はあまり使われません。

 日本語で特殊なのは、東京郊外の住民が多用する○○沿線、駅名で住む場所を表すという方法。これは明らかに不動産業界が仕組んだシステムであり、この種の呼称の利用は彼らのカモになっていることを言明するようなものです。タワマン=成功者・金持ちという認識と同じメカニズムです。

 不動産屋に踊らされた結果、都心に長年住む人間から田舎者認定されること(元田舎者がフレッシュな田舎者を見下すというありがちな話+居住地の優劣の意識=これも不動産業者に都合が良い)も有害ですが、英語でこれをやってしまい、英語の能力が低いと印象づけることはさらに大きな問題になるかもしれません。

 

ベルリンの観光資源のことを調べていて、印欧語の世界観は日本の不動産屋とは異なるとふと思いました。英語に慣れない個人旅行者は、自分のいる場所、目的地の空間的な表現は意識して行う必要がありそうです。

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