1957年 2月24日、欧州-東京間の北極ルートが実現しました。その当時、北東アジアの主要都市といえば東京だけ。かなり衝撃的な出来事だったと想像できます。
この北極ルートの10周年を記念して建てられた石碑は、千代田区の日比谷公園に見ることができます。

公園内の日比谷通り側の一角、植え込みの中にあります。

開拓者 SAS
北極ルートの開拓者はスカンジナビア航空 SAS です。最初のルートは1954年11月15日に就航したコペンハーゲン (CPH) とロサンゼルス (LAX) 線でした。これは Douglas DC-6B (プロペラ機) により、グリーンランドの Kangerlussuag (SFJ)、カナダの Winnigpeg (YWG) の2空港を経由して運航されました。合計 5,650 miles ぐらいの道程になります。

当時としては極端な北を飛行する商業ルートでしょう。これにより他社より距離を短縮することができ、欧州-アメリカ西海岸間の競争を有利に展開したと思われます。
しかしながらこの北極ルートは効果が限られます。北欧や UK は恩恵を受けますが、例えばマドリッドと LAX 間ではニューヨーク経由と SFJ-YWG 経由でほぼ同じ距離になります。SAS の利用した DC-6B は輸送する重量により航続距離が大きく変わるので、2か所経由で給油を行い、比較的短い時間に大量輸送を売りしたと想像されます。
画期的な東京線
北極ルートが重要な意味を持つようになったのは欧州-東京線でした。1950年代に冷戦が深刻になり、西側諸国の航空会社はソビエト連邦の領空を利用できません。南回りだったのです。経由地に設定される空港は数多く、例えばエールフランスは東京-パリを B707 (ジェット機) にて
HND-HKG-BKK-CCU-KHI-KWI-CAI-CIA-FRA-ORY (約 9,650 miles)
という経路で継ぎました。これは明らかに途中搭乗、途中降機を前提としていて、東京とパリを短時間で結ぶ意図はなさそうです。1972年に JAL は東京-ローマを DC-8 (ジェット機) にて
HND-HKG-BKK-DEL-KHI-BEY-ATH-FCO (約 8,730 miles)
と結びました。経由地、総距離は減っていますが、発想としては高速鉄道のような都市間輸送です。
経由地での乗降が多いので、南回り路線はずいぶん後まで残ったわけですが、こういう空の回廊がある中、北極ルートの東京 HND 線が1957年2月24日に実現したのです。経由地は Anchorage (ANC) だけ。機材は Douglas DC-7C (プロペラ機) でした。距離は 7,800 miles ほど。

HND 線は1954年開設の LAX 線とは異なり、西欧各都市から速達で東京に到達できます。JAL を含め多くの航空会社が ANC 経由の北極ルートに就航しました。これは SAS の成し遂げた金字塔ともいうべきで、当時の人たちは人類の進歩を感じたはずです。むしろ SAS の北極ルート開拓は、当初から東京を目ざしていた可能性が高いと思います。
このルートの興隆は西側の技術、繁栄、結束を東側に示すことになり、政治的にもインパクトがありました。
ANC 経由の北極ルートは、その後30年以上にわたり国際線の花でした。ところがソ連邦の崩壊によりその領空が西側航空会社に開放されます。1991年に入るとあれよあれよという間にシベリアルート「直行便」が普通になり、北極ルートの定期便は消滅します。
ANC 経由で東京-欧州を飛んだ記憶がしっかりしている世代は、すでに50歳以上でしょう。
もう一つの2月24日
こうして北極ルートは歴史の一コマになると誰もが信じていました。
ところが2022年2月24日、ロシアはウクライナに全面侵攻し、再び西側諸国との間に深刻な対立を起こします。そして西側諸国の航空会社は再びロシア領空を飛行できなくなり、北極ルートが復活します。この侵攻の開始は、65年前に北極ルートで SAS が HND に就航した日と同じ日でした。
すでに北極ルートは途中寄港せずに楽々直行できるようになっています。技術の進歩で無着陸飛行距離が大きくなったためです。2022年には A350, B787 はすでに国際線の主力機材です。実は B747 でも無寄港の HND-欧州直行は十分可能でした。ソビエト連邦崩壊進行中の 1990 年頃から LH は B747 を用いて ANC 無寄港北極ルートで東京に就航しようと準備を進めていました。
さらに冷戦時代とは異なり、ソ連邦を構成していた中央アジアの国々はすでに独立しているため、現在の欧州発東京行フライトはその上空を飛びます。そのため北極ルートは復活したとは言え、東京発欧州行の片道だけです。
1950年代後半から35年間花形だった北極ルートは、ソビエト連邦崩壊後 30年間途絶えます。そして 2022年、不幸にも復活しました。民間の国際線が政治に翻弄される話としては、北極ルートは規模が大きな例です。